人生は四十代からの勉強で決まる 鷲田小彌太

人生は四十代からの勉強で決まる
人生は四十代からの勉強で決まる鷲田 小彌太

海竜社 2009-03
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「二十代〜」というビジネス書はたくさんあります。それらの本は確かに初心を思い出す意味では役に立つのですが、アラフォーの私としてはすでにスタートラインに立つのが遅れており、少し空虚感に襲われます。しかも「勉強」がテーマの本だと尚更です。
今回ご紹介したい本は、久々の私的ヒット作。著者は札幌大学教授の鷲田小彌太さん。私が好きな『脱世間のすすめ』の著者、弘前大学教授の山田史生さんと同じように「だ・である」調の文体である。大学教授(一般企業の経験なし)で、「だ・である」調は妙に説得力があり、私好みのようだ。

1.ステップアップのため。2.転職の準備のため。3.まわりの人が始めたから。4.資格を取るため。5.小さい時の希望を満たすため。6.定年退職に備えて。7.特別の趣味をもちたいため。8.名作の原文の香りをかぎたいから。9.……。
いろいろあるが、ベストなのは、勉強したい課題があることだ。41歳、ポストも定まった。課業もある。専門的な仕事の課題もある。課業と研究課題をこなしてゆけば、人生に一応の見通しが立つ、と思えた。しかし、なにか不安なのだ。小さくまとまるというか、いま現在やっていることの延長線上にしか自分の人生がない、ということに満足がいかないのだ。

勉強する意味は人それぞれ違うと思うが、引用した最後の文がとてもしっくりくる。一度しかない人生、「死」を感じながら生きているほど高尚な人間ではないが、自分の可能性を100%引き出して死んでいきたいものだ。

書物のいいところは、読むと、何度でも参照できることだ。「先生」はモデルだ。もっと平たくいうと「参照」であり、「参考」である。真似の本質、「写しとる」である。写して、自分のものにする。「摂取」だ。自分の血肉にすることだ。
可能ならば、血肉になったものを、現物とつねに比較、判定できればいい。ときに「先生」から叱責の言葉をもらえれば最上だろう。

書くことは最適の勉強なのである。読まないと書けない。書くためには調べる。いいかげんなことは書けないからだ。書いた内容には自己責任が出る。つまりは書くだけじゃないからだ。

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